今日は、関さんの森・門と蔵再生事業。丸山純先生(前千葉県文化財保護審議会委員)を招いての学習会でした。
学習会では、毎回宿題が出されます。今回の宿題は、「記憶に残る書斎、仕事場等のスケッチを描いて説明すること」でした。参考書は、妹尾河童著『河童が覗いた「仕事場」』です。
さて、当日は参加者が発表したのは、高校時代の自分の部屋、大学時代の下宿の部屋、こどもの部屋、今の仕事場など多様でした。
なぜ、このような宿題が出るのでしょうか。じつは、関家の蔵に『脇な蔵』と呼ばれる蔵があり、そこは関家先代の関武夫さんが書斎として使用していました。門と蔵再生事業の一環で、武夫さんの書斎を再現しようという構想があるからです。
『関さんの森』は、関武夫さん抜きには語れません。幸谷地区の自然を守るために、「道路を地下に通してほしい」と先頭にたって運動した武夫さん。その遺志をついだ関美智子さん姉妹は、お父さんが大切にしていた屋敷林を自然保護団体に寄付。そして、道路問題も引き継ぎ、強制収用の危機を乗り切ったのです。
この日、都市計画道路から守った関さんのお庭では、カントウタンポポが咲いていました。外来種や雑種が増える昨今、松戸で在来種のカントウタンポポが見られる場所は、ほとんどありません。
また、新蔵の脇では、早咲きの河津桜が咲きはじめていました。
節分・立春もすでに過ぎ、春の気配がただよってきました。
(山田)
関さんの森を育む会の、会報編集や印刷もすでに終り、今日はみんなで丁合い作業。これにて28ページの会報400部が完成。皆さん、ご協力ありがとうございました。もっとも、発送作業が残っているが、これは別のメンバーが担当。よろしくお願いします。
さて、会報が出来上がったら、新年会。この日は23名が一品持ち寄っての宴。
ところで、新年会に先立って、建築士の皆さんから報告書(関家「蔵と門」調査報告書及び活用提案書)をいただきました。この報告書は2019年11月25日付け、千葉県建築士会歴建調査グループ名で、建築士5名の連名となっています。
関さんの森は、はじめの頃は自然中心に活動してきました。しかし今では、門や蔵、蔵に収納された昔の生活用具や古文書など、歴史的文化的な活動が大きな比重を占めてくるようになりました。建築士の皆さん、古文書の会の皆さんが、関さんの森の宝を見つけてくださりました。
(山田)
今日は『関さんの森・ふるさと集い』を開催。関家に残る門や蔵、昔の生活道具や古文書などを公開しました。関さんの森では、都市に残る里山として、森や生き物たちだけでなく、昔の暮らしを学ぶことができる、いわば野外博物館のような場所。だから私たちは、ここを『関さんの森エコミュージアム』と呼んでいます。
開会セレモニーの後、参加者は屋敷内を自由に見学。下の写真は1785年に建てられた雑蔵(一番蔵)ですが、蔵の中を片づけて照明器具を付け、昔の生活道具などを展示しました。
また、雑蔵・新蔵・薬医門の前では、古文書の会のメンバーが、関さんの蔵から見つかった古文書について解説しました。
その後、参加者は集合して、丸山純氏(前千葉県文化財保護審議会委員)による「蔵から見える昔のくらし」のお話。丸山先生、後ろ姿でごめんなさい。
続いて、実物の1/30で作った手作りの模型をもとに、門や蔵の解説。下の写真は、雑蔵の説明をしているところです。
さらに、紙芝居の上演。蔵に保存されているモノをネタに、自分たちでストーリーを考え、紙芝居として仕上げました。下の写真は「石臼じいさん」。この他に「関さんちの木材」の2本を上演しました。
この日のイベントでは、これらの他に、子どもたちむけに昔遊び(竹返し・お手玉など)、絵本の読み聞かせなどをおこないました。
また、昼食タイムでは、関さんの森名物の「カミの実入りパン」や焼き芋、釜で炊いたご飯のおむすびなどを提供。
この日、関さんの森には144人が集い、暖かな秋の日、豊かな時間をすごしました。
(山田)
今日は第三日曜日なので、関さんの森の定例作業日です。
この日は、屋敷林の橋の修理やゴミ収集、新設道路のつる草の剪定などをおこないました。
午後からは、育む会の総会です。事業計画や決算・予算などについて審議し、承認されました。
ところで、この日、建築士の皆さんが、雑蔵内の所蔵品の調査をおこないました。
その中に、明治時代の木製の一升枡を2点発見。側面には「市政裁判所」と刻まれています。
東洋計量史資料館のHPによると、この枡は明治元年の5~7月、江戸幕府から明治政府“東京府(現在の東京都庁)”を設置するまでの2カ月間のみ製造された枡であることがわかりました。
今後、蔵の所蔵品の調査をおこない、リストを作成します。将来的には、雑蔵の改修を経て、展示することを目指していきたいと思います。
(山田)
関家には、江戸時代から明治初期に建てられた門や蔵が3棟あります。これを保存・活用しようと「門と蔵再生事業」を2016年からはじめました。
中でも「雑蔵(ぞうぐら)」と呼ばれている蔵は、天明5年(1785年)に建てられたもので、公開するための準備がすすめられています。
下の写真は、春の雑蔵です(2018年4月8日撮影)。
公開に向けて、建築士の皆さんが蔵を測量しました。下の写真は、測量しているようすです(2017年1月15日撮影)。
また、どのように公開するか、近隣の民家園などを視察見学したり、前千葉県文化財保護審議会委員の丸山純先生を招いての学習会を2017年からはじめています。
この日は、本年度3回目の学習会で丸山先生を含めて15名が参加。まず清掃した雑蔵の中を確認しました。
下の写真は、雑蔵の1階部分です。1月29日に2階部分を含めて、ここに収納されていた古い木材などは、すべて外に出しました。公開までに、床板の補修などが必要のようです。
2階部分です。ここにも木材などがたくさん収納されていました。ただし、2階に上がるための階段はありません。また、天井が低いので、2階は公開対象にはならないと思います。
1階には壁で仕切られた小部屋があります。「味噌蔵」と呼んでいますが、籠や桶などの民具のほか、古い梅干しや梅酢などが今も保存されています。
見学後は室内に移動して学習会。参加者に課されたレポートを発表しあい、雑蔵の公開に向けての展示内容や整備の方向性について話し合いました。
公開までの課題は、たくさんあります。見学者が安全に蔵の中に入れるように、床の修理が必要です。土足可にするか不可にするか。照明はどうするか。何をどのように展示するか。古文書もたくさんあります。棚や机はどうするか・・・。
来年度以降も学習会を続けていきます。関心のある方はぜひご参加ください。