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2011年6月20日 (月)

幸谷城址発掘調査説明会(第2回)

関さんの森を通る新設市道の建設に伴い、事業地内にある埋蔵文化財「幸谷城址・熊ノ脇遺跡」の発掘調査が、昨年7月から始まっています。下の写真は、現在の発掘調査のようすです。

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昨年9月には、森の南側・元グランド地区を対象に現地説明会がおこなわれ、幸谷城関係の遺構や陶器の破片、鉄砲玉などが確認されました。
現在は、森の西側・むつみ梅林地区の発掘調査がおこなわれています。どんなものが見つかっているのか、発掘担当の松戸市教育委員会の責任者に、発掘現場の見学をお願いしたところ、本日午後、発掘状況の現地説明会(第2回)が行われました。

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遺跡見つかった遺構は、関東ローム層の上部に残されていることから、出土品などから推定して、戦国時代から江戸時代の初期のようです。地面を段切り状に削り、平らな面を作りだした「台地整形遺構」の上部から説明を受けました。

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現場では、深い竪穴と地下室からなる「地下式坑」、貯蔵施設、墓などの用途に使われたと思われる方形の「土坑」、建物の柱や柵ノ跡と思われるピットと呼ばれる穴など、多数が見つかっています。その他陶磁器、土器も少数ながら出ているとのことです。

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そして、土坑の底で、焚き火の跡の炭も堀り出されていました。下の写真が、発掘された炭化物(炭)です。110620seki5

調査は11月くらいまで続く予定で、その後2年くらいかけて分析をおこない、報告書としてまとめられるとのこと。戦国時代の城跡といわれている「幸谷城跡」の詳細はいまだ不明ですが、どこまで実態が解明できるか期待したいところです。

幸谷城址の跡を伺わせる遺跡の発見は?との質問に対しては、直接それに繋がるものは見つかっていないとのお話。ただし、遺構の密度が非常に高いことから、当時多くの人が関わっていたと推定されるそうです。

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