今日は第三日曜日なので、育む会の定例作業日です。
会員24名が集まり、花壇の花苗植え付けや、3/29開催に開催するイベントの準備などをしました。
天明5年(1785)に建てられた雑蔵(ぞうぐら)は「昔のくらし館」としてリニューアルしますが、その準備もほぼ終わりました。

展示してあるものを、いくつか紹介しましょう。
関家は、江戸時代名主でしたが、名主の仕事といえば、領主に納める年貢を、各農民の持高い応じて公平に割り振り、村全体でまとめて、期限までに納めることです。
そのためには、米などの量を正確に量り、計算し、記録することが求められます。
量る道具では、棒ばかり(竿ばかり)があります。

分銅には「秤量貮拾六貫」とありますが、これはこの分銅を使って量れる最大重量。26貫は97.5kgだから、米1俵(約60kg)をはかるには、充分なはかりです。
分銅の実際の重さは、分銅の下の方に壱貫三百匁(4.875kg)と書かれていました。念のために、分銅の重さを量ったところ、4.882 kgでした。上皿はかりが正確かどうかはわかりませんが、わずか0.14%の誤差でした。

容量を量るときは枡を使います。年貢米を量るときは一斗枡を使います。一斗は約18リットル(約15kg)。江戸時代の米1俵には一斗枡で4杯分(約72リットル/約60kg)の米が入っていました。関家には一斗枡が2個残っています。

計算するときは、そろばんを使いますが、七つ珠のそろばんが残っていました。
日本のそろばんは中国から伝わったとされ、上2つ下5つの七つ珠は、中国の16進法に由来します。上1つの5が2個、下1つの1が5個で、縦1列の合計15。1足すと16で、次の位に繰り上がります。
7つ珠が使われていたのは江戸時代までで、明治になって上1下5の6つ珠、昭和になって上1下4の5つ珠となりました(10進法)。

矢立(やたて)は、携帯用の筆箱です。墨壺も付いており、帯に差し込んで持ち歩きました。

ところで、米は俵に詰めて保存・運搬します。今は紙の袋やビニールですが、昔は稲わらを編んで米俵を作りました。下の写真は俵編み機(こも編み機)ですが、これは米俵用ではなく、炭俵用のものです。

米俵に米を入れる時は、竹で編んだ漏斗(じょうご)をつかって、こぼれないようにしていました。

米俵に入った米の検査は、金属製の「米刺し」を使って取り出していました。

(山田)